ちょっと古いが「カチンの森」を読んでみた ― 2017年10月23日
私が「カチンの森」を知ったのは、1980年初頭の藤村信「パリ通信」(岩波書店「世界」不定期連載記事)に書かれていたのがきっかけだ。当時ポーランドでは、「連帯運動」が起こり政権の打倒が叫ばれるさなかであった。81年9月、私は、ボロボロの格好でワルシャワの裏町で腹を空かせて歩いていたのを覚えている。
「カチンの森」虐殺は、偶然起こったことではなく、スターリンのポーランド分割の戦略上、計画的に行われたものと理解する。ソ連崩壊間際のゴルバチョフ時代に多くの情報が公開され、また、ロシア共和国になった後にもより重要な情報が公開され、ゴルバチョフの後継であったエリチェンは、ポーランドに対して詫びを入れている。その後、プーチン時代には、否定され、情報も隠された。いわく、それは、ソ連がやったことではなく、ウクライナ、ベラルーシがやったこと、1万5000人ではなくもっと少ない4000人足らずであった。などなど。どこかの国の「大虐殺などなかった」論調に似ていなくはない。
ソ連という国は面白い国で、官僚国家であった(今もそうだが)がためなんと書類が克明に残こされている。つまり、どこの誰が、どういった理由で誰を逮捕、そして処刑し、どこに葬ったかと記載されている。かの大テロル時代(1930年代)の何百万人に上る処刑者リストが今も残っているというからある意味スゴイ国である。我が国は、半年前の文書を処分してしまうのだから。(その文書の分析を屈指し、次々に新事実を突きつけたのが歴史家ティモシ・スナイダーだ)
本書「カチンの森 ポーランド指揮階級の抹殺」ヴィクトル・ザスラフスキー みすず書房刊 2010年7月発行 は、2006年、イタリアで新たに資料に基づき出版された。「カチンの森」をめぐる問題は、まだ幕は降りず、上演真っ盛りといったところだ。事件が起こってすでに77年が経過している。20世紀に起こったことの検証作業は、未だ片付いてはいない。
「カチンの森」虐殺は、偶然起こったことではなく、スターリンのポーランド分割の戦略上、計画的に行われたものと理解する。ソ連崩壊間際のゴルバチョフ時代に多くの情報が公開され、また、ロシア共和国になった後にもより重要な情報が公開され、ゴルバチョフの後継であったエリチェンは、ポーランドに対して詫びを入れている。その後、プーチン時代には、否定され、情報も隠された。いわく、それは、ソ連がやったことではなく、ウクライナ、ベラルーシがやったこと、1万5000人ではなくもっと少ない4000人足らずであった。などなど。どこかの国の「大虐殺などなかった」論調に似ていなくはない。
ソ連という国は面白い国で、官僚国家であった(今もそうだが)がためなんと書類が克明に残こされている。つまり、どこの誰が、どういった理由で誰を逮捕、そして処刑し、どこに葬ったかと記載されている。かの大テロル時代(1930年代)の何百万人に上る処刑者リストが今も残っているというからある意味スゴイ国である。我が国は、半年前の文書を処分してしまうのだから。(その文書の分析を屈指し、次々に新事実を突きつけたのが歴史家ティモシ・スナイダーだ)
本書「カチンの森 ポーランド指揮階級の抹殺」ヴィクトル・ザスラフスキー みすず書房刊 2010年7月発行 は、2006年、イタリアで新たに資料に基づき出版された。「カチンの森」をめぐる問題は、まだ幕は降りず、上演真っ盛りといったところだ。事件が起こってすでに77年が経過している。20世紀に起こったことの検証作業は、未だ片付いてはいない。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://takeamto.asablo.jp/blog/2017/10/23/8711152/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。