カチンの森 ロマンチックでない話2019年01月06日

カチンの森
 カチンの森は、今も解決しないまま続いている。
 カチンの森について初めて知ったのは、藤村信が「パリ通信」(1970年代から80年代にかけ岩波書店『世界』に不定期連載)のどこかで書いたことによる。
 1939年ナチスドイツのポーランド侵攻によって始まった第二次世界大戦。ポーランドは、ナチスドイツとソ連邦によって分割され国家を失った。ポーランド市民たちは、分割したそれぞれの国によって捕虜となり、収容所に送られた。1040年4月から5月にかけてソ連内務人民委員部(通称秘密警察)は、2万5000人のポーランド市民を銃殺した。陸軍将校、知識人、幹部公務員などのポーランドの指導者階級であった。この事件は、すぐにナチスドイツの進攻により発覚、ナチスは、ソ連の仕業と公表するが、ソ連は、ナチスドイツの仕業と喧伝。連合国側であったソ連に同調し、イギリス、アメリカは、この事実を隠蔽、ナチスの仕業とした。スターリンの指示による銃殺であったことが明らかであるにもかかわらず、連合軍は、蓋をした。戦後、ソ連圏に組み込まれたポーランドでは、ソ連を追求することもできず、冷戦終結を迎えた。しかし、ペレストロイカ、グラスノスチを推進し、冷戦終結を行ったゴルバチョフも隠蔽を図った。理由は、共産党の最高指導者(スターリン)が指示したことが明るみに出てはならないという意識に固まっていたためだ。
 教訓 国家は市民を守らない。
著者ヴィクトル・ザスラフスイはレニングラード生まれのロシア人、1975年にソ連を出て、アメリカ、イタリアで政治社会学の教鞭をとる。本書は、イタリア語で書かれた本の翻訳である。

 訳者あとがきが充実し、とても分かりやすく分析されている。あとがきだけでも読む価値はある。


『カチンの森  ポーランド指導階級の抹殺』
 ヴィクトル・ザスラフスキー著 根岸隆夫訳 みずず書房刊 2010年

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